呼び名

 90歳の外水さんは、職員から「外水さん」と呼ばれたり、「おばあちゃん」と呼ばれたりする。93歳の針江さんは「スミさん」と呼ばれたり、「おばさん」と呼ばれたりする。86歳の町金さんは「町金さん」と呼ばれたり「大先生」、もしくは「お父さん」と呼ばれたりする。その人を呼ぶとき、色んな呼ばれ方がある。
 96歳のフミさんもまた、多くの呼ばれ方を持っているひとりだ。多くの呼ばれ方があるということは、多くの顔を持っていると言える。自宅から第2よりあいにやって来た朝方はみんな「大山さん」と声をかける。大山さんは午前中のうちは機嫌が良い。職員の冗談にも軽く受け答え、みんなも楽しくなる。
 時が経つにつれ徐々に大山さんの様子が変わる。毎日のように「腹がせく」大山さんはお腹をさすりながら眉間に皺を寄せ、「痛〜い」とうなり始める。その横でお腹をさする僕を見て「あら、こんなところで何してるの?早く行かなくていいの?学校でしょ。」と言う。その口ぶりから察すると、どうやら僕は息子になっているらしい。そんな時、僕は大山さんを「母さん」と呼ぶ。
 夜もふけた頃、大山さんは「お母さ〜ん、どこにいるの?」と母親からはぐれた幼子のように半べそになる。その様子から察すると、どうやら大山さんは3~4歳の幼児へと若返っているらしい。そんな時は「フミ、ここにいるから、大丈夫よ」と答える。
 人間は歳を重ねるごとに顔が増える。赤子から始まり、少女となる。やがて妻となり、母であり、祖母であり、元洋裁の先生だったりする。男もしかり。赤子から始まり、少年となる。やがて夫となり、父であり、祖父であり、元課長だったりする。
 老いも極まると、現在から過去へ、過去から現在へと縦横無尽に行き来することができるようになる。タイムスリップしたその時代に応じて、お年寄りたちは顔が変わるのだ。僕たちはそれを察して、その顔に応じた呼び方をする。
 いつも腰の低い町金さんが「君、ちゃんと書類を用意しないと困るよ」と少し怖い顔で職員に迫る。きっと、一生懸命働いた課長時代へとタイムスリップをしているのだ。


 
 ごくらく日誌はミニコミ誌「まいたうん」に所長の村荑が連載しているものです。